たまごの話
秋雨がもたらす湿度が全身に充満し、体力も気力もぜんぶだめにしていくような一日だった。夜になってさらに冷え込み、まだ早いかと仕舞っておいたとっておきの夜着を出す。特別大きく仕立ててもらったそれに全身を包んだ組頭は、横になってときおりいも虫のようにもぞもぞする。火鉢で沸かしたお湯をじゅうぶんに冷まし、竹筒に移し替えてストローをさした。
「お飲みになられますか」
「うん……ありがとう」
時間をかけて起き上がると、組頭は私から竹筒を受け取った。何度か右目をしかめたので、どこか痛むところがあるのだろう。こういうとき抱き起こそうとすると、それすらも痛みになる。ゆっくりとご自分で起き上がったほうがいいようだ。
「あったかい……」
白湯を飲む。組頭の表情がほんの少し和らいだ気がして、私も安心した。雨は止まない。雨音のほかに音はない。ふたりきりの部屋で、果たしてこの雨が止むのか、いつもの夜明けがやってくるのか、何も私たちに約束されたことはない。ある種夢のようなな不安感がある。でも、顔を上げれば組頭と目が合い、呼吸をしている。それだけで私にはじゅうぶんだった。
「組頭、これはあなたさまと陣左だけの秘密に」
「うん?」
持参した小さな包みの中から、「加須底羅」の焼き印がほどこされた桐箱を取り出す。組頭の前でふたを開けると、甘く、どこかほろ苦い香りがふわっと広がった。
「かすていらか。どうしたの?」
「町に出たおり、たまたま菓子屋に立ち寄りまして。大きなものは手が出ませんでしたが、これくらいならば、あなたさまと私で分けられると、奮発したのです」
「いいの?」
「はい。半分こしましょう」
一緒に包まれていた竹串で半分に切り分ける。包み紙を皿にして組頭に渡した。「ありがとう」と受け取る。なんとなく、その手つきには迷いがあった。
「……ご気分ではありませんか?」
「ううん、そんなことはない。ただ、よかったのかなと思って」
「?」
首を傾げると、組頭はしばらく言葉を迷わせたあと、続けた。
「陣左が奮発して買ってくれたものを、わけるのが私とで」
雨。寒さ。こんな日に体の具合が悪ければ、人はたいていだめになる。かわいそうだと思う気持ちと一緒に、いとおしさも胸に生まれる。この方はご自分の弱さを、私にも見せてくださる。
「自分で買ったものですから、陣左の好きなようにいたします。さあ、お召し上がりください」
「陣左って、やっぱり変わってる」
「またそのお話ですか」
竹串でかすていらをひとくち大に切りながら、私は答えた。つい口調に呆れが出てしまう。陰陽の均衡が傾くこんな日は、組頭の陰気な部分が露呈することがある。私は先んじて、組頭が言いそうなことを言ってしまう。
「あなたさまはおじさんではありませんし、陣左は雑渡さまのそのままをお慕い申し上げているのです」
「……変わってるよ。若いころみたいな美丈夫ならまだしも」
「確かにその通りなのですが、ご自身で仰られるのですね」
「今やこんなだし、天気くらいで弱っちくなるくらいだめになっちゃったのに」
「……」
陰気になった組頭はたいへんしぶとい。私はかすていらをひとくち食べて、今宵は何と言い負かそうか考えた。
「……かすていらにはたまごが使われていますよね。初めて食べたときは驚きました」
「あっ、無視した」
「子どものころ、風邪をひいたりしたときだけ、たまごの入ったものを戴いていたのです」
「へえ」
組頭も諦めたのか、竹串でかすていらを切り始める。
「思うに陣左はたまごが好きなのです。茹でていようと、溶いて雑炊にまぜていようと、かすていらに使われていようと、たまごならば好きです」
組頭は若干興味のなさそうな口調で相槌をうって、かすていらをひとくち。
「それと同じようなものだと思っています」
組頭の手が止まった。
「私はたまごに対して見目麗しくあってほしいなどと思いませんし、どのようなかたちであれたまごが入っていればわかります。たまごに何も求めません。好きなのです」
あなたさまに対しても、それと同じではいけませんか。そう問うと、組頭はきまり悪そうに目を逸らして白湯を飲んだあと、頬に手を当てて困ったように笑った。
「……なんだか暑くなっちゃった」